--回 想-- |
*出会い*
1.
第一子、男の子を帝王切開で出産。
あと一人生んだら仕事に復帰するつもりだった。
所長が席を空けておいてくれると約束してくれたのだ。
二人目。
女の子が欲しかった。
一人目の出産から二年、願いどおりの女の子。
二歳の長男をかかえ、パパは長期出張。
里帰り出産をすることに決める。
すべてが順調だった。
一人目を帝王切開したときの傷跡が
癒着していることなど気づくはずもない。
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2.
紹介状を担当医に渡すが、
一人目を帝王切開することになった経緯を
理解していないようだった。
『児頭骨盤不適合』のためだったのだが、
オペの予定日を待てず破水したため緊急手術となり、
このため、担当医は帝王切開になったのは破水したためととったらしい。
私がいくら説明してもだめだった。
二人目は一人目よりも体重が多く、
当然二人目も帝王切開するものと思っていたが
担当医は自然分娩でいけそうだと譲らない。
これまでのものすごい数の出産に立ち会っていた自信からくるものだった。
地元では名の通った産科医だった。
お願いしてレントゲンを撮り確認してもらったが
やはり自然分娩で、ということになった。
一人目同様二人目も
予定日過ぎても生まれる気配すらない。
パパも予定日にあわせ、休みをとり来てくれていた。
促進剤を使って出しましょうということに。
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3.
陣痛を経験せずに一人目を出産した。
促進剤が効きはじめ、はじめて経験する痛みと一晩過ごす。
次の日の昼、ようやく分娩室へ。
『いきみたかったら、いきんでもいいですよ。』
と看護師が告げ、分娩室に一人置き去りにされる。
『このぐらいの痛みでもういきんでもいいの?誰もいなくてもいいの?』
そんなことを思いながらいきんでみる。
なぜか痛みの波が消える。
吐く。
痛くないのではない。ずっと痛くて苦しいのだ。
周りがあわただしくなるのがわかる。
帝王切開。
朦朧としながら、『だから最初から切っていれば・・・』
なんて思ったりしていた。
ストレッチャーに乗せられ、エレベーターに乗り込むとき、
パパから『がんばれよ!』と声をかけられる。
痛みで目が開けられなかったが
声の様子でもう少しで生まれてくる子供に会える喜びが伝わってくる。
オペ室では外科医が『こちらに移動してください。』
なんて言っている。
痛くてそんなことできないよ・・・
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4.
*子宮破裂*
母子共に助かる確率は相当低いのでは・・・
母が、『子供に障害が出るかもしれない。覚悟しておいたほうがいい。』
と言っているのをベッドでぼんやり聞く。
そんな母が二人ともだめかも知れないと聞いて倒れていたのを知ったのはずっと後だ。
・・・子宮が破裂すると、子供に酸素がいかなくなる。
状態としては、交通事故にあったように突然心拍が落ち・・・
看護師さんの話す声が遠くに聞こえる。
あんなに自信に満ちた担当医は
『自分の子だったら生かしておかなかった』と言い、
結局最後までsaeの様子を見ることはなかったようだ。
子宮破裂の説明もわたしにすることができず、
子宮のほとんどを失ったことをパパから告げられる。
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5.
大部屋から個室へ。
夜、ピッ・ピッ・ピッ・・・という機械的な音がかすかだが
聞こえてくる。
どうぞ、どうかsaeを助けてください。
音が止まったりしませんように・・・
ほかには何も考えられなかった。
三日三晩
文字通りその小児科医は、
寝ずにsaeと共にがんばってくださっていた。
幾度かの心停止を繰り返し、
医師や周りのスタッフもあきらめたそのとき
自ら息を吹き返すその生きようとする力は
小さい体のどこから沸いてくるのだろう。
saeとはじめて会ったのは
そんな危険な状態のときだった。
真夜中に起こされ、車椅子に乗せられ新生児室へ。
透明なケースの中に横たわるsaeの肌はピンク色。
むくんで全身がぱんぱんになっていた。
状態をあまり把握できていない義母は
『まるまるとしててすごくりっぱな赤ちゃんだよ。』
と言ってたっけ。
『saeちゃん、ママだよ。』
声にならず涙があふれる。
saeちゃんは生きることを選択したのです。
生きたいと願ったのですよ。
とベテランの看護師がそっと私に告げる。
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6.
子宮をとったといっても、結局帝王切開と同じ。
一週間もすれば退院となる。
普通のお産と一緒でお祝い膳を出された。
食欲などあるはずもないが、
お膳に箸をつけずに返すのが腹立たしくやりきれないので
全部きれいにおなかに納めてやった。
おっぱいのフシギ。
一人目の時にはだらだらとこぼれるぐらいに出ていた
おっぱいもsaeの時にはほとんど出なかった。
saeに初乳を・・・と思い毎日搾乳するが10ccもでればいいほうだった。
退院後は、ほんの少しの母乳をかかえ毎日面会の日々。
わずかな母乳をシリンジで注入する。
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7.
いつも車で通る道ぞいにその建物はあった。
通る度、ここはなんの病院なんだろう。なんてぼんやり眺めてた。
熱心な受け持ちの看護師がいろいろ調べてくれて
クッションを作り、姿勢作りをし、体操もしてくれていた。
『この病院にいてもあとは何もできません。
早く専門の病院に移り、リハビリをはじめたほうが良いと思います。』
と小児科医に告げられる。
担当医が紹介してくれるという病院こそその建物だった。
まだ生まれて一ヶ月も経たない赤ちゃんを自分の車で搬送する。
600km。
医師や看護師はついていけないと言うのだ。
ものすごい不安感に襲われる。
義父母も一緒に併走してもらい、
少し走っては休み、少し走っては休みの繰り返し。
吸引器なんか持ってなかった。
口で吸い上げる使い捨てのものをいくつかもらってきただけだった。
何も知らないというのは、強い。
考えられないようなことも平気でできる。
saeはそれから6年の間入院生活をおくることになる。
気持ちは落ち着いた?受け入れられるようになったのはいつ頃?
などと聞かれることもあるけれど
落ち込んだり自分の気持ちなんか考える余裕すらなかった。
次々でてくるいろんな問題に対応するだけで精一杯だった。
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ここまで読んでくださった皆様ありがとうございます。
気が向いたら続きを綴る事もある?かも・・・ |
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